あなたの心のメガネ拭きに、私はなりたい

習慣化23日目

今日はさらっとかくぞ。書きたい。

僕はご存知の通りめがねをかけているんですけども、中学の途中か高校になったくらいからかけているので、もうかれこれ20年近くかけていることになって、これはもうホントめがねは顔の一部ですといっていいくらい僕の鼻の上に鎮座し続けているわけです。今かけているめがねは5個目くらいでしょうか。
まぁそんな感じでかなり長い時間この2枚のガラス越しに世界をぼんやり眺めているのですが、しょうこさんと出かけるようになってから、頻繁に「メガネ汚いよ」と指摘されるわけです。そりゃもう太陽の下に出たら100%の確率で汚いよ、といわれるわけです。んでメガネ外してぼやけた世界で二つのレンズをみるとなるほど確かに汚い。そんでシャツとかハンカチとかで拭くんですけど拭いたメガネをかけると、めちゃめちゃ世界がクリアになるんですよ。
世界こんなキレイダッダのってくらいクリア。薄汚れた世界に光が差し込んだ気分になったものです。

汚れた世界に気づかないで生きていた。メガネひとつでこんなに変わるなら、僕が見ている世界と誰かが見ている世界は一体どれほど違うのだろうか。僕が赤いリンゴをみて赤いなと思う感覚と誰かが見ているリンゴはどれだけ一致しているのだろうか。でも僕もあなたもリンゴをみて美味そうだ、とよだれを垂らす。同じ物を見ているはずだという仮説の上を僕らは生きている。この細い線の上を全員が歩いているんだとおもうとなんと頼りない世界なのだろうか。これの上には僕以外乗ってないし、誰かの線の上に乗り換えるのも難しいだろう。
一生だれとも交わらない線の上で、この誰もいないひどく冷たい暗闇で、それでも誰かがいるはずと、同じ方向に線を伸ばしているんだと信じて進んでいく。冷たくて暖かい距離感、それが本当のソーシャルディスタンスなんですね。いみわかんね。

最近はあらゆるところにメガネ拭きを配置して、机の上/カバンの中/ポケットの中/定期入れに挟んで、そんな感じでふとした時に手を伸ばせばそこにメガネ拭きがある状態にしました。それでなんとか自分からメガネ拭くようになったんです。しょうこさんにメガネが汚いことを指摘されることも少なくなった。世界はずっと綺麗な状態を保っている。もし心のメガネが曇っているようだったら、頻繁に誰かに拭いてもらえばいいですね。