気付かずまたいでいるハードルに気付きたい

習慣化11日目

Twitterやり続けてる人って、何年もやり続けてるじゃないですか。あれ、本当に凄いと思うんですよね。別にただ日常や思ったことを吐露しているだけであっても、それをやり続けてるって中々出来ないと思うんですよ。だって面倒じゃないですか。あぁ今日のご飯美味しかったなぁって4回くらい胃と口とで反芻しながらぼんやり天井を見上げて、食器かたづけないとなぁでもこの満腹感のままゆるく銀魂でも見てたいな~って時に、ケータイ取ってTwitter起動して誰かに見られてもいい文章に変換しながら今の状態をつぶやくって、そんなことしてたらもうご飯のおいしさは遠い昔の出来事になっていて、いまは食べ過ぎてしまった最後のおかわりは不要だったし残しておけば明日の朝ご飯のおかずが一品増えたのにという罪悪感とのバトルシーンに遷移していて、「にげる」→逃げられない! おなかが重くて逃げられない! なんだったらもうここから動きたくない! あーもーびちゃびちゃの床で良いから横になりたい! って叫ぶ銀さんにマックステンションで新八くんがツッコんでくれますよ。

銀魂がオンエアされてたころ、多分僕は十分に大人で、そんな自分が銀魂を見るってなんだか恥ずかしいことのような気がしてほとんどみたことなかったけど、凄い面白いのね。これは話題になるし何クールも続くわけだ。これは面白いわ。ずるい。うらやましいわ。自分もあっち側に行きたいんだけど、どうしたらいいんだろう? 何をやり続けたらいいんだろう? Twitterやってたら銀魂作れるようになります?

誰かがやり続けていることを自分はどうしてもやり続けられなくて、なにかこつがあったら知りたいのだけどやり続けられるってことはきっとその人にとってはそれが自然なことで、ハードルが低いどころか普通に歩いてたらまたいでたみたいな、家でも外歩いてても多目的トイレでもどこでも出来るみたいな、そういう自覚すらしていない感覚のものだったりするのだろう。自分にもそういったものがあるのだろうか。それっていったい何なのだろう。それがわかれば何かが始められたりするのではないだろうか。だれかがどうしてもやりたいことを僕は大きな苦労なくやっているのだろうか。年齢とともにやるようになったり取り入れた考え方はあると思うけど、それって本当におれの本質か?

わからないけど、とりあえず何かをやってみたい。目的はあとから考えればいい。いつからこうしておなじばしょにとどまるクセがついてしまったのだろう。まずは銀魂を見よう。面白いから。