目標に向かって走るとき

生きる意味を探して自分の足下を掘りおこす、みたいなことを僕は度々していて、だから首をぐるりと回して後ろを振り返ると僕の歩いてきた道は穴ぼこだらけなのですが、「歩いてきたということはどこかに向かっていたということなのか?」と歩いてきた意味すら考える対象になって、考えることについて考え始めていったい何がしたいのかと混乱が止まらなくなったりもする。それともただ生きているだけで、向かう先に意味なんかなくて歩くことそれ自体が意味になってたりするのだろうか。

掘った穴の中には、何もないこともあれば思いもよらないキラキラしたカケラが入ってたりして、ギャンブルよろしく僕は何度も穴を掘ってしまうのだけど、ちょっと立ち止まったり来た道戻ったりして、この穴は僕にとって実はずっと探していた財宝だったのかもしれない、と改めて考えてみてみたりもする。穴がなんかエロい暗喩みたいに見えてきたので、念のため深い意味はないと明言しておく。穴じゃなくて糸を依るとかにすればよかった。そうして僕は夜な夜な糸を依るわけだけども、なんか結局エロい雰囲気から抜け出せない!

 

とにかくなんだか何かを探している気がしている。

僕は今いる場所を「天国みたいな場所」だとまわりにいってるし今でもそのように思うけど、そんな天国みたいな場所にも結構な敷地面積があるようで、風通しがよかったりふわふわと柔らかかったり、天国の中でもその時にあったより心地よい場所を探してやっぱりうろうろしてしまうみたいだ。これは別に隣の芝生は青く見えるとかどんな甘味も食べ続けたら味分からなくなるとかそういうことがいいたいんじゃなくて、求め続けることを自覚的にやらないと、どうやら走る速度が落ちてしまうらしいという話。ほら、主人公ってだいたい全力で走るじゃん?

問題は今も走っているはずなのに、なんか走りたい走りたいとなっていることだと思う。天国は見渡す限り真っ白で、空も青いクレヨン即なくなっちゃうよみたいに晴れ渡っててどこまでもいけるわけだけど、それってどこにいるかすぐに分からなくなっちゃうということで、ちゃんと自分の速度が認識できる対象物が必要なんだ。だからしっかり雲のモクモクの形を感じて、空が持つ陰影を楽しんで、自分の向かう先にピンを刺して、と自分が走ってることを自覚する、自覚できる努力をする。そうすればより楽しく走れるし、疲れたときもこんだけ走ったんだしそりゃ疲れるよ少し休もうみたいな自分へのねぎらいや休む言い訳を、自分に用意してあげられるだろう。自分に甘く周りの人にも甘い。そんな人に、私はなりたい。綿菓子になりたい。カラフルな綿菓子になって原宿のギャルにちやほやされたい。